先週木曜
グランパが死んだ
突然でも無いんだが
驚くタイミングの悲報だった
私の家計は長生きだ
祖父は84で私は48歳の時にできた孫だ
実は祖父には母がいて
その母もまだ存命である
脚が悪いので施設に入っているが、意識もしっかりとしている。105歳だ
その息子が死んだ
悲報を受け、施設側も死体に合わせないわけにはいかなかったらしい。死んだ息子と105歳の母が対面した
当然のように号泣した
「なぜ私より早く死ぬのか?私も後をおってすぐにそっちにいく!」と言うのだが、家族皆が言うのだが84歳なのだからもう許してやれと言う
私の祖父はワガママだ
好きなことだけをして育った農家の長男坊だ
私の母は二人姉妹で祖父は男の子が欲しかったらしい
自然、祖父は初孫男の私を寵愛しすぎて甘やかした
そのせいでこんなワガママで好きな事ばかりしている人間に育った。この祖父もそこは同じで曾祖母に甘やかされたのでワガママだ。
祖父は3年前から糖尿やら肝臓やらで透析をしないと動けないほど体調が悪化しているのに、自宅に帰りたいとダダをこねた。結果、娘と祖母と養子の私の父が面倒を見る羽目になった。散々好き勝手して最後に死んだ。親父はそう言う。
家族は亡くなったそとの時も、その肉体的疲労が無くなって少し安心している様にも見えた
私は、私を甘やかした張本人の祖父に合うため、コロナを避けて車を700キロ漕いで対面した。痩せて冷たくなっていた。最後死に目にも会えなかった。
今思えば俺に何かを吹き込んだのはこのじいさんかもしれない。15歳の私に一緒に朝日国際を見ようという。朝日国際とは福岡国際マラソンの昔の名前だった。それが衝撃だった。大学でフルマラソンを目指した。こんなバカが里帰りしたら何も言わずに1万をポケットにねじ込んできた
「これで靴を買え」
明日が葬式だというのに家族は介護に疲れていたのでボロボロだった。むしろこれで落ち着いたという雰囲気だった。私は家族が悪いとは言えないんだが何やらこの単純なじいさんがこのまま亡くなって皆が忘れる事が怖くなった。生きていた事を誰も覚えていなくなるんじゃないか?それは恐ろしくて暗くて怖い。親父に言われた。喪主の代わりの挨拶はお前がしろ
人間らしさとはなにか?
なぜ人間は生きているのか?
祖父の生まれた意味は?
どうして俺は走って
なぜ死ぬのか?
何に生きたのか?
そんな事を全てスピーチで
人間性の局地を言葉として、祖父の人間性を言葉にして遺して価値を残したい。そう二晩考えて、葬儀挨拶でしたスピーチが下です。長いですが暇だったら私の祖父の人間性
読みますか?
「本日は皆様、故~祖父の葬儀に際しまして、ご会葬いただき、誠にありがとうございました。
喪主が高齢ですので、喪主に変わりましてご挨拶させて頂きます。
故人にとって私は、48歳の時に出来た初めての孫であり、初めての男子の直系の子供でした。ですので、私が最も可愛がられた、と言ったら語弊があるのですが、私が最も甘やかされて育ちました。ですので、私は最も故人、祖父に似ていると言われます。そんな私の目線で故人の人柄を偲びたいです
祖父は、自宅と、家族が本当に好きなおじいちゃんでした
祖父の趣味はカラオケとスナック通いで、4人の悪友がいます。子供の頃の私のイメージではいつも親友とおしゃれをして出かけて行っていました。家族で誕生日祝っててもしれっと出ていきました
祖父のオシャレして出かける時のお気に入りが3つありました
1つはバーバリーのスーツ
田舎者がスナックのお姉ちゃんにモテようと背伸びして買ったんでしょうね!
2つはグッチの山高帽
娘二人が誕生日に買ってくれました
それを一生大切にして、最後までベッドの脇に置いていました
3つ目は、私があげた電機メーカーのロゴが思いっきり入った携帯ストラップでした。2008-2016オリンピックのたびに渡してたんですがボロッボロになるまでこれをつけていた
何が言いたかったか
結局、スナックに行っても彼がする事は家族自慢ばっかりで全身装備が家族の広告自慢棟なんですよね
孫がこの会社に務めてるんやーマラソンしてるんやーとか、娘にいいものもらったんやーとか、家族自慢ばっかりしてる単純で純粋なおじいさんなんですよ。
皆さん。
家族自慢なんて社会にでておもいきり出来ますか?私はどんだけ娘が可愛くても自分にとってマイナスにしかなりませんから、家族をけなしても自慢なんか絶対に出来ません。
そんな純粋な家族が大好きな子供みたいな爺さんなんです
ですが
愛というものは不器用なもので
諸刃の剣になってしまいます
自分がこんなに好きなので相手に対して何をしてもいいと勘違いしてしまうんですね
爺さんも最後は身体が悪くなってしまって
病院で寝たきり生活になってしまった
それがどうしても嫌だったから、家族に迷惑をかけてもいいから、病院を脱出しようと考えた
祖父のハンガリーストライキが始まりました。
祖父は病院の飯は食わんと院長に楯突いて
その結果として、自分の家に帰れましたが家族にとっては透析患者の面倒を2年に渡って見るという地獄の生活が始まりました。娘、嫁、嫁の養子の夫の3人に体の面倒を見せて、次女にはワガママな要求をします。話し方を真似すると
「うまいもんばこうちこい!(美味しいものをかってこい)」
そうやって好き勝手過ごした祖父は大好きな家族に当たり前にすごしてきたので感謝の言葉を余り伝えられませんでした。
祖母になにか感謝の言葉はあった?と聞くと、死の3日前に朝起きると空を祖父が仰いで手を合わせていたらしいです。
「なにをしてるの?」祖母が聞いたら
「お前を拝んでるのぜ」
と怒っていったらしい
それがすべての感謝の言葉でした。
でも
言葉が足らなくて
家族全員に感謝が伝わっていない。
だから、
この場を借りて、本当に手間味噌で身勝手なのですが
祖父の代わりに最も身勝手で馬鹿なところを受け継いだ孫が感謝の言葉を家族に言わせて下さい。
『妻、長女、その夫 これまで私が84年間、生まれ育った家で最後まで暮らして死にたいという、私の身勝手な望みを叶えてくれて本当にありがとう。次女、私がいつもいうワガママな食材をいつも届けてくれて、本当にありがとう』
これからもこんな純粋な祖父が天国で家族自慢出来るような素敵な家族を目指して精進いたします。遺族に対して今後変わらぬご厚意のほどよろしくおねがいいたします。
皆様への感謝のご挨拶とさせていただきます。
終わり
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