びわ湖毎日マラソン2021 レース編

皇子山陸上競技場は選手で満たされていた
本年度は東京マラソンや他の大会もない
文字通りびわ湖に日本中のフルマラソン選手が集まった形になった。

皇子陸上競技場を1周半して
市街へ飛び出し大津市を走る

競技場は2時間27分30秒までの日本中のランナーが集まった圧巻の集団
タイムが近いということは接触人数が多い
4名ほど転倒する

競技場をでて空を見上げる
真っ黒な曇天の空に気温がピリッと肌寒い
いつも見る大津の冬の天気だった
びわこはシベリアの雲を遮る山がない。
山陰地方のような黒い雲になる事がある

大津市街からにおの浜までの市街地は毎年下りに感じるほどのスピード感がある

私のペースは入りは
3分21~12~14~21といった具体になった
想定よりだいぶ早い入り
ここから落ち着けて3分27くらいの集団を作るのが当初の予定だ

皇子山陸上競技場からにおの浜は下りではないのか?とランナーでよく話題になるのだが
実際は6m大津市街まで上っている

浜大津~におの浜の大津湖岸線ラインが南の瀬田川に集まるため緩やかに下っている。
左手に膳所城から近江大橋が伸びる
5キロを過ぎたあたりから自分のいる集団を決める必要がある。

この日は北東より4mほどの風があった
におの浜から膳所方面に曲がり切って進路を南へ向かう状況では追い風を受けられる

前後は集団がひしめいていて
どこに下がってもある程度の集団へ合流できそうな状態だった

3分20~ちょいで進む前方に大きな集団があって
そこには何とかついていけそうな感じだったが
正直先頭を率先して引っ張るほどの実力が自分には備わっていない
スピード練習を追い込めなかったので対応力の面で不安がある
だが、フルの適正と実績の「勘」だけで3分20の集団にかじりついた状態だった。

集団の主要メンバーは
5年ほど前から私のライバルとして突如登場したベテランのセオさんと
大阪でよく一緒になるクスモトさん他、14名ほど

セオさんはもともとは学生時代以降も実業団選手のようなものなので才能あふれる選手だが
中年まで仕事に集中していて、この5年ほどで復帰してきた組だ

仕事もそっちのけで熱中し続けている私としてはこの数年負けたことがないと自負してきた
が、前回の防府マラソンでの仕上がり状況を目の当たりにして考えが変わった。
「勝てない相手になりつつある」

この集団はセオさんが引き続けていた
そこに学生や私のようなベテラン勢が張り付くという様相だった。

「耐えるという選択をした」

5キロ地点程で3分20以内で進む状況に対しての焦りと悩みがあった
足は不調に反して順調に稼働していて、不思議と問題がない。
「聖戦補正」が私に予定以外の能力向上を引き起こしていた
極限の精神状態が身体能力の限界を超えたとしか考えようがない。
最終調整でも3分20秒でソロペース走すらきつくなっていたのだ

びわ湖から徐々に瀬田川へ向けて狭まってゆく湖畔に芝生と松林が見える。
粟津の晴嵐を左手に超え
瀬田川沿いに北からの追い風を受けて、集団走行は3分20を苦も無く進む
3分20~17ペースを維持する

11キロ
瀬田唐橋の給水地点
同じ集団にいた若い子がスペシャルを求めてきた
「私のスペシャルが全然ないんですよ」

確かにそうかもしれない。
数秒刻みで300人以上いるわけで
スペシャルは0~9のゼッケンナンバー分あるから取りにくい状況だった
私は必ずとれるようにと、分かりやすいようにと、
無下に扱われない、という観点から1歳半になる娘の写真をスペシャルに張り付けた
すべてのスペシャルがしっかりとおいてあり、間違う人間もいないし、間違った方に罪悪感を植え付けられるだろう
利用できるものは何でも利用する

あげてもいいがまずいコーラやで!

「コーラ好きです!うっぁ、ホンマにコーラや・・・・・」

私のコーラは炭酸を煮沸揮発させて、炭酸を抜いて
人間の浸透圧に近い1.5リットルに対して10gの塩を加えレモンを少し入れたものである

よほどまずかったでしょう
この若者は後から調べたら昔、舞洲リレーマラソンで敵として登場してきたキヨハラくんという選手だった。

唐橋を過ぎて
新幹線の高架
京治バイパスを過ぎると雰囲気が一変する

平津峠が見える
何度も書いたが、標高は13m
勢いをつければ登頂まではあっという間だ

行きは集団形成で走れている
帰ってきてからの状態が勝負だろう
10キロ通過を3分20を切って進み、33分くらいで行ってしまった。
オーバーペースだが自分の限界を信じてこのまま緩めずに進む

平津峠を下り切り
洗堰を東へ渡る
この日は天候が最高で曇りを維持したままで気温が下がっているとここで感じる
洗堰を北へ向かうと向かい風4mにようやく気付いた
これまで集団で走り続けてきたことがようやく活きてくる
単独走ではないので先頭が入れ替わりながら苦しい場所である

標高129mの大日山を右手に瀬田川を北上する

道はここから狭くなり、沿道との距離が徐々に近づいてくる
瀬田川の東側は川が山脈を削ってできた河川地帯なので
道が非常に狭くなっている。

瀬田川橋と東海道新幹線の下をくぐる
夕照り道を過ぎる18キロ地点~21キロが
この大会最大の応援スポットである

18キロ地点は瀬田城があったので城下町であり
石畳道路になっている

新幹線の高架を過ぎてからの歓声がすさまじい
手を伸ばせば応援に来てくれた仲間や
折り返しの選手とも手が擦れ合えそうな距離間にある

ハーフキロ地点を1時間9分55秒
折り返しまで予定を大きく上方修正している

折り返しも瀬田城周辺は同様な歓声だった
唐橋や近江大橋を渡れば2度応援に行けるので応援スポットだという点もある。

折り返し南に向かい
同様に大日山沿いの湖面を進み洗堰までくる
集団は相変わらずでセオさんが押したまま
若者が少し減ったが、3分20秒を切り続けている

洗堰を曲がり北上ルートに切り替えてからが、最大の難関であり
この大会の肝だと私が考えている「平津峠越え」である

坂の手前、28キロ地点での風はまだ強く感じない
平津峠に差し掛かった
「この峠に勝つことで、この峠を永遠に記憶する」
この峠は地図から消えてゆく。びわ湖毎日マラソンと一緒に永遠に消える

一歩一歩を、ここに負け続けてきた記憶を思い出しながら進む

広島のヒガシさんと喘ぎながら登った
フジノさんにただひたすらついていったが、ここでついていけなくなった
折れたろっ骨をおさえながら走ったこの峠だけは越えようとした

 
全てが走馬灯のように思い出された
今ここにあるのは調整不安でここにたどり着いた私一つだ

集団を引き続けているのは相変わらずセオさんだ
彼の走り方は完全にフルマラソンに特化していた

才能の高い人間が何かに特化した
その末恐ろしさが見えてしまった
これまでの勝てるはずと思っていた相手に実は完全において行かれつつあった

平津峠を越えた

体が自然と前に出た
平津峠を越える

私は集団についてゆくだけが精いっぱいの状態だったが
前に出て平津峠を下りだすことにした

集団のペースは平津峠の影響で落ちかけていた
3分20~ が3分24 5秒ほど低下している

聖戦補正がフル稼働していると自分の速度と走行ルートが見えてくるようになる。相手を抜ける速度で稼働しているかが直感でルートを3つ描き出した

平津峠を降りてからの爆風が、先頭に飛び出した私に集中的に当たる
ここを超えても強くいられるかが私の中での勝敗だと勝手に考えていた

私の動く勢いを見て、若い選手が3名ほど飛び出す
私の前をとらえようとする。
それを3度交わして前に出る

しかしペースアップができた訳では無かった

セオさんが私を抜き去る形になった
びわこを右手に左手をロームがある

35キロ地点
向かい風を受けながらも
先頭を引きずるように進むが次第に力がなくなってゆく

セオさんについて行けたのは35キロまで
彼に挑むように前に出たがそこは力が及ばなかった

私はこの1年、フルマラソンを早くする為に中長距離を伸ばすような方針をたてて実践した。これが50年走るやり方だと信じたからだ。彼の走りはフルマラソンに1年間特化してきた走りだった。揺らがず動かずペースが変わらない。一定で2時間半走り続ける動きを極めた完成形を作っていた。特化出来ない私とは違った

これまでセオさんに負けるとはっきりと思わなかった
私は今日、はっきりと、これまで格下だと感じていたランナーに負けると直感した

私は負ける
遅くなる

進歩し続ける事だけがびわこランナーの価値だった
昨日より遅いのであれば価値がないのである

私は挑んでゆく側にあった

セオさんの背中が見え続ける場所に耐える
その背中は5秒単位で1キロ毎に見えなくなった

私はイチ選手として完全に敗北であった

におの浜を曲がり、苦しい北進は終わる
市街地に入ると大津市は歓声がありにぎやかだ

この街に元気な状態で戻ってこれたのはこれまで去年しかなかった
全力でびわ湖に特化して取り組んだのは去年だった

今年も全力で取り組んだ
最後のびわ湖は私に応えてくれた

38キロ地点でようやく自分のベストタイムがでるペースである事に気がつく

ここまで全力で聖戦補正を稼働させてついてきたので積算タイムを見る余裕すらない状態だった

最後の2キロ
ペースは3分28~30くらいに落ちてしまった
最後競技場に入る前にハマダ君を見つける

最後最後のご褒美!と思って胸板を叩いて
「勝負しようぜ!」と先導したが

お前と最後競うのはキツイから嫌だ!という顔で首を振られてニヤニヤする

競技場に入る

この一周が名残惜しかったが
あと一周を2時間21分台がでるかどうかという状態

最後の力でスパートするが崩れたペースは戻らず

2時間22分7秒 197位でゴール

9秒ベスト記録を更新した
2014年の福岡国際から9秒縮められた

ベスト更新は高速レースの流れだろう
集団が良すぎたので引っ張られるようにしてゴールした印象だ。マラソンもモータースポーツもようなものだと感じさせるレースだった。

ゴール後、京都のランナー仲間が500ml缶のビールを渡してくれた
「ベストおめでとう!」
負け続けた
今日は今まで負けてなかったセオさんにも負けたんだ
ベストだってもなにも変わらなかった

シルバーのビール缶を大津の空に向かって傾けた
曇天はいつしか晴れて日光が眩しく駅前を照らしていた
ビールが私の喉を泳ぐように下り、その炭酸は鼻孔から発散して大津市の空に再び飛んだ

びわ湖湖畔にあったランナーの魂は地表から離れ記憶になった
平津峠は永遠に平津町にある何気ない登り坂となった

びわ湖の湖面は220万年変わらない穏やかさだった

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