びわ湖毎日マラソン2021 レース準備編

最後のびわ湖だったが今回が調整が上手くいっていなかった

いつもの流れでレース10日ほど前を最終ポイント練習として
調子のバロメーター12000mくらいのペース走を入れてみる
まずはレース想定スピードあたりで初めてどのくらいまで上げて行けるかどうか
例年ではここで3分10くらいまで上げてラスト4キロくらい走れるような状態に仕上げてきた
本年は3分25秒が関の山でそれ以上タイムが伸びない。
完全に不調と判断した。
不調すぎて前に進まず目頭が熱くなるほどだ

私が不調だろうが調整に失敗しようが最後のびわ湖は待ってはいない。
治療に専念して自己治療でお灸やいつもの整体で電気針をガンガン入れて休養に尽くした
だらだらとJOGと治療をしたが好転はしないまま風のように過ぎてびわ湖前日だった

びわ湖マラソン前日、受付会場のびわ湖プリンスホテルに向かう
毎日マラソンは受付が毎年変わる
びわ湖プリンスホテル→びわ湖ホテルを毎回チェンジする

私のような玄人気取りの大バカ者は、「去年と同じだよね?」と勘違いしてしまい
間違って違うホテルに行ったものだ。3回は間違ってホテル間をあわてて走った

去年もプリンスホテルだったと思う
今回は最後だし、事前に手紙をちゃんと読んでおいたので、馬鹿なことはしない。
そして、そういえば9時スタートになったこともうっかり前日になって思い出した
これまでが12時スタートばっかりだったので
去年朝9時の大雨の中をピストル待ちさせられた嫌な事もついでに思い出した

受付を済ませ
びわ湖毎日マラソンの難所「平津峠」に最後の挨拶へ向かう
正確には「平津峠」は地図上には存在しない
’正確には平津一丁目付近の坂’である
NHKのびわ湖毎日マラソンのアナウンサーがこの峠を作り出した。

峠というにはあまりにも小さな丘であり、その標高も8m程度。
マンションの3階分部分にも上るかわからない程度の高さだ

この峠はびわ湖毎日マラソンが終われば永遠に消える
「平津峠」はランナーの中だけに存在する圧倒的な難所である

平津峠に最後の挨拶をした
「明日、俺はお前を倒す。永遠にびわ湖マラソンにお前を閉じ込める」
平津峠は私と同じだ。マラソンがなくなれば存在しなくなる
今、最後の記録としてここで走る戦友の記憶に残るだけである

今回もここをどう超えるのかが最大のポイントだ
私の闘いは記録とこの峠との闘いであると言ってよい

その重要性について何度も触れたが
びわ湖マラソンのコースは北の皇子山陸上競技場から南下して
南の洗堰を渡って北上そして折り返して洗堰に戻る
U字コース

今回はスタート地点で北東4m/Sの風が吹いた

風圧計算は
R=0.056V^2×A
という式によって求められる。
なお、「V」は走スピード(m/s)、「A」は身体前部の投影面積で、「0.15×(身長)^2」

ランナーはそもそも、キロ3分で走っている場合で空気抵抗が0.8kgほどを作り出している
向かい風2m/Sでは、時速20キロ+向かい風2m/Sに二乗されるので、
そこに2乗計算で時速20キロー追い風2m/sで引き算をしても、エネルギー的には大きく損失することになる。
つまり向かい風は受けるに越したことはない。

平津峠は坂がきついというにもあるのだが
29キロの坂を下った後が間違いなく向かい風になってしまう。
そこが最大のポイントとなる。峠を集団で登って、かつ大人数で集団エネルギーを使って風に耐えないと記録が伸びない。

レース当日
朝、自宅より皇子山陸上競技場に向かった
行きの電車が山口のトヨナガさんと一緒だった
2年前に一緒に走った別大を思い出した。
彼は山口の選手なので別大がメインだと話をした

私も九州出身だが、大阪京都で14年働いた

私のメインレースはいつの間にか福岡国際とびわ湖マラソンになっていた

人生が変わった。
私のココロが関西に移った

スペシャルを預けたりはいつもと同じ
気温は8度ほどでまさにフルマラソンの日としてはベストなのだと感じる気候
スタートするまでは絶不調が悔やまれると心から考えていた

レース前
私はできるだけ一人で集中したいタイプなので
音楽を全力で流して最終調整をする

全神経を目の前にある道に集中する。
自分の目指す歩幅や、走りに行くコースが線として見えるようになる
時間を争うスポーツだが、そもそも時間の概念は一定ではない。
光の速さは変わらない。太陽が私に向かってくる方向に目を凝らす
光の速さをとらえるほど集中すれば体感速度が変わる。
精神の限界を超えた集中は空間をゆがめることができる

びわ湖は私の聖戦レースだ。
不調だろうとどうであろうと。
私には走る資格があるので全力で戦う義務がある

びわ湖を目指した仲間に見せたい
人生は戦う価値があり、諦めなければ、
人間は打ちのめされるようにはできていない事を

いつも通りの皇子山陸上競技場
タイム順に並ぶ
下村さんが2列後ろから私にわざわざ話しかけてきてくれた
もういつからかわからないくらい一緒に大会で走ってきた

フジノさんも話しかけてくれた
「もう最後まで前ちゃんに会えないかもしれんとおもうたわ!」

もう14年は付き合っているベテランと一緒に走る
自分の中のベテランに問う

「どうやって平津峠を越えるか?こんなに愛しているびわ湖を倒せるか?」

スタートするまでペース設定は3分30きるくらいでしか想定できなかった。不調だったからだ

最後の号砲がなる

人生で一番名残惜しい42.195kmを漕ぎ出した

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