各一般大会は中止になる中
びわ湖毎日マラソンエリート大会として開催されました
東京マラソンで日本記録もしっかりでたし社会的にはびわ湖は消化試合感がやはりありますね!笑
びわ湖はそんなに記録でんだろうと
確かに走りやすいコースかというとなぜか記録が出にくいというのが私の十年以上の経験です
まずこの記録が出にくいと言われるびわ湖マラソンのコースについて少しだけ?考察してみます
コース的には大したアップダウンなく折返しも1度だけでスピードが上げやすそうなコースに思えます
出走してきた経験から実感でいきます
まずスタートして競技場はたった一周で良いのでいきなりロードに出る感じです。浜大津までは市街で風の影響も少なく応援もまばらで例年速やかに進みます
浜大津から左手に大きく琵琶湖が開けてそこから湖岸道路が大きくなります
横風がある場合は少ないのですがタイミングがよければ後ろからの追い風を受けられます。さらに広いので遠くが見通せて集団も作りやすい
そして12キロの京滋バイパスの先にある平津峠がこの大会の難所の一つです。
行きは琵琶湖の北から風が南に抜けるので追い風を背に走り抜けます。
瀬田川の洗堰の橋を渡ったら今度は向かい風になりますただここはあまり風が気にならず
そのままの勢いでハーフまで北上
そして折返してゆくのですが私の場合はこの折り返し後の集団がよく追い風を受けて高速化するイメージです。25キロくらいまで勢いよく南下して
この大会の最大の難所が平津峠の登りと峠を降りてからの比叡山の吹きおろしですね!
いつも思い切り向かい風になってしまい上手く進めなくなるイメージです
平津峠たかが標高7メートル程度の低い登りなのですがね
なぜかあそこでペースを乱してしまいます
と言う事でポイントは出来るだけ向かい風になる
往路の①洗堰からの北上 16-20㌔②平津峠からの下り 28‐32㌔
のポイントを上手く集団で風をさける陣形を作っておきたい
スタート前
アップを西練仲間と済ます雨が降って困ったが雨でも濡れないアップ場をチームベテラン最年長の仲間に教えてもらえました!やはり数をこなす事で見えてくるものがある
スタート地点にならぶが今年も通例の雨予報
しかも非常にさむい!70回記念大会の5年前を思い出す
あの時は雨が降ったししかも私は肋骨が折れていて走った記憶がありますね!ロキソニン二十錠飲んでフラフラだけど無痛でスタートできたんだけどハーフで薬が切れて低体温症と肋骨痛の2重の苦しみを味わいました
そんなあの時と機構はバッチリ同じです
今回のびわ湖は我ながら調整がバッチリ上手く行って体調的には過去最高の状態を作り上げられました
何をもって調子が良いと言うのかというわけですが
私の場合はフルマラソンの当日想定ペース走練習を2週間前に入れます
当日以上のペースで上げるイメージですアクセルを出来るだけ本番に近い状態で踏んでおいて上半身や体幹的なブレが出てこないかどうか
今回12000mPRを2週前の西練でいれてペースを3分30から 10周おきにギア上げていき20〜15〜12
といい感じに上げられました学生時代 もっとも早かった頃が3分15くらいで最後20周入れられてハーフ66分くらいの力があったはずなので、それを加味しても充分本番でも余裕がとれます
この練習結果を背景に3分20-24くらいのペースメークでハーフを69分くらいで余裕をもって折り返しさらにそこから余裕をもって上げていくような攻撃的なスタイルを作りたい
びわ湖において先述したような後半の風対策が必須と言う事で【道連れ】が必須
スタート地点
例の十分遅らせ問題です
死ぬほど寒かった
電子ピストルならないんだったら時計動いてんだし口でドン!とか言ってくれよと思いました
コロナじゃ無くても風邪引ける環境でしたそこまでオリンピックしたいのかよと
私の後ろにいたおっちゃんたちはなぜか俺に聞きます「今の5分くらい遅れてるせいで関門も5分厳しくなったんじゃないか?!関門にも連絡いったのか?!どうなんだ?」
おっちゃんたちは関門通過する事で精一杯です
俺は今回もう少し速く走りますとりあえず落ち着いて下さい!言い聞かせます
俺は俺で記録さえ更新できればそれで満足
一度控室に戻りストーブで軽くぬくぬくしながらやる気が萎えたからだにもう一回鞭打ってスタート!
スタートして競技場を一周して出ていくあたりで集団形成を伺い始めます
上記3キロ地点ほど
前方にダブルモトが見えるその集団は3分15くらいで勢いがよい
私の両足とヴェイパーはバッチリ動いてて3分15でも全く進めそうな体調です
このままあの変な走り方のいっぱいいる集団に付いていけば2時間20分くらいで行くんだろうなと思いつつ
張り付くかためらってしまったこのまま行けば68分代くらいで通過してしまいそこまで行けたとしても後半の体温低下を考えると恐ろしく前半は抑えて後ろにいる
3分20くらいのメンバーがほしいのだが上手く待機してても3人くらい出たり入ったり。。。。
上でだいたいハーフ通過69分40くらい予定通りなのだがほとんど一人で進む形になってしまった
25キロすぎ洗堰を一人ですぎるここまで一人だが順調にやってきた
いよいよだと自分でも考えるターニングポイント
平津峠越え
小さな丘なのだがリズムが崩され更に折りきった場所で向かい風に襲われる
一気に体温が下がってしまい3分20を鋼鉄の意志で守り続けていた筋肉の装甲にヒビが入り
30キロから少しづつペースダウンが始まるとはいえ耐え抜けばタイムは出るはずである3分30-40へと徐々に下がっていくが後ろからの抜きにかかる集団にこびりつきながら集団を維持する
38キロ地点!
かけのさんが前の3分10秒台の集団からこぼれてきて一緒になる
この人はもう5年くらい琵琶湖で同じ場所で集団を走っているまたか!と思い交わすつもりで前に出て「運命ですね!」と一叫び他の人は見逃してくれるのに俺だけは許してくれないらしく張り付かれる!
面白い!去年はオカモトくんが私の競技場入りに花を添えてくれたが、今年は愛知のかけのさんか!
そのまま二人で喘ぎ倒しながら競技場入り!
今年もいい写真をもらいました
競技場一周目は前に出て2周目のバックストレートに入る前のカーブで引き剥がすように仕掛ける!仕掛けて前には出るがわざと1レーンは空けておく
絶対仕掛け返して来るはずだからだ
2コース寄りで追い込んでいくが
そのまま前に出られる!
耐えるためもう1叫び!するが追いつかない!今年もラスト勝負負けた!!!!
でも面白い😁トラックでの命の削り合いが陸上競技場の真髄ですよね
タイムは2時間23分52
まぁまぁです
2019年度レースもバッチリ楽しむことができました
バカな事も続けたり努力すれば報われるようなオモロイ事にも出会えて楽しいわけです
話は変わって
あれ?結局アメリカ遠征したの?
ナイショです😁
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