俺のドッグタグは82のようだ
毎日福岡国際の事を考えている
2000年にフジタ選手の走りを受けて始まった私のどうかしている青春は未だに続いている
元々これを読む人がわかるように
私は体育系の人間ではまったくない
文章で生きてきた
今も文章とおしゃべりで飯を食ってると考えている
あまりにも少ない出場選手に正直戸惑う
記憶を出す祭典であるはずの福岡国際が私のような人類としての不毛な迷走を続ける群れ外れの一匹ハイエナにとっては
利益のない大会になりかけていた
しかし全力で取り組まないと20歳の私
永遠に福岡国際マラソンにでる事を夢見て走っていた自分に顔向けができない気がする
あんなに夢中だったのはなぜだろうか?
よくわからないが今も私の中で変わってしまった事と
変わらないことがある
目標タイムが定まらないまま、私の出来る全力の調整をしてオモロクと火曜木曜ももりのみやで過ごす
11月中旬の私の状態としては3分20での20キロまでの単独走には自信を持ち得る練習をしたが距離不安がある
故障を避ける意識が距離を増やす事を邪魔している
この年になって考える
故障することが最もリスクであり
それならもう走らないほうが良い
大会を減らしリスクを減らす
この今年度の方針に間違いは無いと直感しながらも後半戦への焦りが伴う状態だ
なかなか難しい。。。。
今日は400mx10をヴァルハラ練習会という私の主催している練習会でやりました
68-70で回せたのでそれなりです
もう少しアクション起こして来週まではガッツリ走りたい
故障を毎晩ケアして2時間くらいお灸してみたり筋膜リリースしてみたり。。
悩みが尽きないくせに悪夢のような90人もでない福岡国際マラソンが近づいてくる
何をモチベーションにしたら良いのか?悩みまくっての結論
18歳の大学入学してすぐにスポーツ推薦のある大学の陸上部の入部式で、競技場で大声をあげ、やり投げの先にる先輩までシーズン目標を叫ばないといけないイベントがありました
その時、長距離ブロック私は大学生の花形である全日本駅伝や出雲駅伝への出場じゃなく
18歳は大声でこう叫びました
「2時間27分をきって福岡国際マラソンのA標準を突破してます福岡国際マラソンで入賞したい」
もちろんこれに対して大牟田高校など有力高校で青春のすべてを駅伝にかけてきた先輩方からは「聞こえない!」「舐めてるのか!」の怒号だ
この時のピュアなバカマエダにしっかり付き合ってやれるような走りができないと男じゃねーと思わんか?
今回は18歳の自分に送るようなタフなレースをしたい
難しい調整だが、確実にこなす
今日も坐骨が痛い
足首とシンスプリントも痛い
だが治さなければ
治さなければではない
付き合って行きながら
闘わないとこのバカな子供に見せられない
倒れてもいいのでこの四十手前の体でのすべてを尽くして
平和台で最後ポインセチアに包まれてゴールしたい
故障と戦いながらの調整が続きますが
今週と来週でリスクを恐れず迷走せずにしっかり仕上げる
11月8日の練習 1600m+1200m+800m+400m 18キロジョグ
11月9日の練習 8キロジョグ
11月10日の練習 8キロ㌔4分+8キロジョグ
11月11日の練習 18キロジョグ
11月12日の練習 オモロク12キロ㌔3分20 15キロジョグ
11月13日の練習 10キロウォーク
11月14日の練習 20キロジョグ
11月15日の練習 400mx10 20キロジョグ
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