福岡国際マラソン2022

まずレースにあたる調整状態から

基本的にオモロクの練習を活用して仕上げた
レース2週間前

フジワラとあと5人ほどで
3分20−3分10へのビルドアップ15キロ

更に福岡国際マラソン前のラスト1週前
3分20 4500mx2  でやった
余裕もあり仕上がりとしては90点という感じだ

ただし今回の福岡国際としてはまず最悪の前提として
私のベストタイムを使っても後ろから4番目だという事実だ

85人しかいない
実力不足なので
レースプランがまず大きく絞られる

集団を維持するにも3分20が最弱の集団になるだろう
ベストを出せたレースはそれを維持していったわけだが、体調に合わせて目標を下方修正するような事が出来ない

もし溢れたら一人だ
この小さいグラスで溢れてたら下には何も残っていない

とにかく3分20の最弱集団についていくというプランしか想像がつかない。過去で最も余裕がもてないレースだ

レース会場へは家族を連れていった
フジワラも連れて行くって言ってたので子供同士良い思い出になるかと考えてだが
子供を抱っこしたり寝付かせたり正直疲れた

やはり戦場には一人で赴くべきだった
子供に走ってる姿を見せられたのは良かったのだが。。。

フジワラは?と聞いたら
自分一人でホテルに泊まってて子供は奥さんがずっと見ながら福岡についてきているという

何という家族だ!
うちは二人とも陸上部のガチガチなのでそんな事させたらとんでもない見返りが帰って来そうだ。。。。

さて
レース当日

参加者も減って控室も実に質素になっていた
これまでの仮設小屋もテントにランクダウンしていた

あとから記事で読んだりしたのだが朝日新聞のスポンサー落ちが響いてコストダウンが急務だそうだ
コースまで変えるとタブロイド紙には書いてあったが。。。。

肌寒い仮設小屋で遅い者同士身を寄せ合う

ゼッケンドンケツ5人
80-85が一同に集まった

ペースどうしようか?
みんなで3分25で行きましょうよ?
セオさん棄権らしいよ?
収容されそうだな

弱虫同士、弱者の無駄な肯定を一通りやったあと
静寂があり皆、同時に溜息をついた

フジワラと一緒にジョグにいく
レース用のソックスを忘れた事に気づいた
嫁に行って近くのステップから持ってきてもらうことに

スタート地点の平和台でジョグ

気温は12度ほど
曇でこの時点では風もなく、自分の実力不足以外に何も言い訳が出来ないコンディションが整った

相変わらず何やら有名な選手がいっぱいだ
俺は余り陸上の大会を真剣に観ないことでモチベーションを保ってきた

上を向いてあるいたら才能の無さが分かってやれないからだ。

いつも自分より少し下の殴りやすい人間と戦ってモチベーションを保ってきた

下を向いて歩いたほうが楽しく歩けるのだ

という話をフジワラとしていた
あの選手の名前が出てこない
有名な双子でアゴがしゃくれてる。。。。。。

さて
スタート地点に立つ
2007年−2019
13回目の福岡国際が始まる

学生だった俺が恋い焦がれて何としても出ようともがいた大会だ。
2年間ブランクが空いたが今回は出られた
15年前、別大で2時間24分で福岡国際の資格を取れて泣いてた自分に語りかける

「今年はまた此処に来れたぜ」

12時十分たった85人でスタートした
競技場の一周目抑えても77秒くらいだ

それでも後ろ見ても数名しかいない

1キロ3分10で通過するくらいで3分20くらいにしたい集団を形成していく

平和台を滑り降りて明治通りにいく
予定通りではあるのだが
3分20を切る集団が眼前に2つ

一つはカイジョウくんやセグチくんが中心

もう一つは私の前に5人で耐える集団
2つは距離を維持したまま進む

人数も20人近く居る

このまま維持していき
福重を折り返した所で合体した

俺は15キロまで最後方でなんとか耐える
横を見るとフジワラも同じところにいる

兵庫に引っ越してからこの子とばっかり走っているのだがすっかりスペックも似たような感じになってきた

16キロスペシャルで私のボトルを前の選手が落とす

拾って戻る間に2秒ほど感覚があく

護国神社前の苦しい所で前との距離を縮める

そこで大学の時の同期が泣きながら応援していた
当時ちょっとひねくれてる奴で
俺ともそんなに気が合わなかった
今は福岡でバーを開いてる
陸上も同期のキャプテンとそりがあわずやめてしまった

だが俺と同じ事を感じているはずだ

俺達にとって走ることは特別だったんだ
忘れてはいけない事が今もあるんだよ

あの時間を
俺はいまも忘れない

永遠に此処を走ってやる
お前が出来ないなら俺が変わりにやってやる

20キロ地点
坐骨に痛みを感じ始めていた
呼吸は安定していて、給水もうまくいっている電解質バランスも
そんなには悪くないんだ

だが坐骨から脚の付け根まで痺れるような痛みがあり
ハーフでペースが緩んでいってしまう

3分20から3分30を一人で維持する

さっきの弱虫座談会のワタナベくんが俺を抜きながら
「俺は収容車ですよー」と冗談を言いながら抜いてゆく

苦しいレースになる

一人で耐える
応援してくれる地元の選手や京都からわざわざ来てくれた昔に福岡国際に出ていたおっちゃんの思いに答えたい

いや違う
俺は俺の為に走った
俺のかけた今も終わらない馬鹿な青春の全てに

35キロ3分45くらいになっているが

40キロを2時間20分くらいで通過できた

坐骨がもう痛すぎて片足はびっこを引きかけているような動きだが何とか耐えていた

監察車が俺についてくる
たぶん俺がもう最後の選手なのだ

俺は拍手された
チャレンジしたレースだしそんなに遅いか?と思いながらドベっってこんな気持ちか

初めてマラソンでドベになる体験をした

関門は2時間30分で40キロのはずなので
完走は出来ると思った束の間

41キロの九州製氷を前にして辞めさせられる

色々聞いても納得行かなかったが裏の関門があるらしい。。。

41キロで2時間24分20くらいだ

人生で一番くらい辛いレースだった

だが家族の応援とフジワラ家も一緒に応援してくれてそれは嬉しかった

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