別府大分毎日マラソン出航編

別府大分毎日マラソンは
2006年以降かなりの数出場しているはずだ

もはや回数を数えることも定かではない

2006年は2時間24分後半で走っているはずだ
前年の防府の方が微妙に早かった

後半のタレ具合が悪かった
コースが今と少し違うはずだ
最後大分城の横を走った記憶がある

俺は何も変われなかった
好きな事は辞められなくて
特別な自分を探す事だけで
間違いながら走り続けている

別府大分も同じで
同じように続いていた
新聞が終わる世界で福岡国際は終わった

俺はギリギリ出れたのだろうがそもそも脚が伸びずに出れなかった

世界が変わっている
マラソンで速いだけではなくて
ストーリー性が求められている

まずはコースを紹介する
別府大分毎日マラソンは大分〜別府間を行き来する沿岸沿いに建てられた大道路

別大道路の往復からその前半がスタートする

前半は沿岸沿いで
風の影響については基本的に真冬であるので北風である
つまり別府市内に入ると向かい風が気になる

10キロほどで折り返すのでそこまでは確実に集団走行が基本である

別大道路自体は九州でも有数の大幹線道路で
4車線道路の半分を見事のアスファルトの上を走るので快走できる

ただ特筆すべきはそのコースのバンクにある
ランナーとしてアスファルトには二言三言あるのだが
砂利が少ないのアスファルトこそが私は至高だと思っている
別大道路のそれは日本でも稀に見る純粋のアスファルトだ

昔のナオコタカハシソーティージャパンなんかで走っていると
すべての靴底がアスファルト全面を舐めるように当たって吸い付く

suck hard
といったところ
実に気持ちいい

だが猿山沿いで斜めになる箇所があり16キロあたりのそれを嫌う人もいる

だが基本的にこのコースも集団戦法を意識しないと風をもろにうける

後半の市街地に入ってから
30キロすぎの折り返し地点が仕掛けどころなのだが
橋の上のアップダウンがあったり
うまくいかない事も多々ある

とても良いコースなのだが
嫌いなのは最後競技場に飛び込むところだ

せっかく良質アスファルトを蹴り続けて来たのに
河川沿いの競技場に向かう河川沿いのアスファルトが悪くなり少し下る

いつもここで最後の脚を奪われる

だが全体的になかなか良いコースである
私は現在82回目のフルマラソンでも本大会を日本国内レースでは最高だと押す
ただし東京マラソンに出てない
それ以外と考えるべきだろう

レースに向ける体調としてはそれなるだ

防府ではあまり調子を上げきれなかったが
仕事が忙しい中で正月休みに思い切り走り込めた

毎日30キロ平均を維持して10日ほどやれた

具体的には嫁の実家に帰省してほぼ毎日2部練か
三部練やり込んだ

そんなやって走って他の時間は一人で飲むかピアノに興じる
そんな婿を優しく妻のご家族は迎えてくれて精一杯のご馳走を振る舞ってくれて体調は上向いた
もし私が良く走れたらご家族のお陰だ
などとは考えたくない

コロナが流行りだして交友関係は絞られていった
京都時代のマラソン仲間二人と家で飲むのだが
いよいよおしゃべりするネタもなくなりマージャンするようになった。俺は仕事のグチを言うのだが、この親友二人の仕事の苦しみの方が明らかに深刻だった
なぜなら身体に苦しさが症状として現れていたからだ
この3人で企画した別府大分毎日マラソンは俺らのそんな苦しい状況の中でも仕上げてきた青春の集大成であった
だが今回も結局出れるのは俺だけだった
俺はこの仲間二人分も速く走る。
などとは考えたくなかった

本当にできた娘が可愛かった
どうやらパパっ子のようで朝な夕な私にまとわりつく
妻も必死で子育てして良質なご飯を作ってくれている
私は従来、不摂生を補うべくして距離を増やして不摂生を補うべくべく距離をこなして走ってきたが
もう年が年を重ねてこれが出来なくなった
妻の完成されたご飯はカロリーを抑えてバランスが取れまくりで理想的な料理で私の走れない身体を補ってくれている。別大で走れればそれは妻のお陰であり家族の為に走る。などとは考えたくない

俺はひたすら俺でしかなかった

今海の上にうかび
サンフラワーで月光があたる洋上に
海の波を切る音を身体に感じ

一人で進む

海の上を別大に向う一人きりの私は至福そのものだった
元々、一人で初めて、一人で走って、一人で願って

一人で憧れて、一人で恋焦がれて、一人で夢中で

願わくば
こんなコロナで意味もなく旅行して
期待されるでもない目標タイムなのに走って
意味の無いことを続けると馬鹿にしてほしい

誰も俺の快走を願うな
誰も俺の人生に祈るな

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