防府読売マラソン2020

防府読売マラソンへの参戦は2006年以来のはずです

19歳の初マラソンが防府で
20歳の防府で26分、別大で24分を出して
福岡国際Aの資格をゲットしました

しかし今年はコロナの影響で福岡国際は資格がきびしくなり
2時間20分40秒くらいとなってしまいました
防府に出れただけどもありがたいものです

今回は調整も上手く行っていませんが2時間26分の若造
すなわち若者の私を超えるというように目標を決めていました

当日は防府駅からシャトルバスなんかは出ていませんので路線バスで会場に向かいます
向かいますが結構な距離で2キロくらいはなんやかんやと歩きました

会場九時につくと私が一番乗りだったみたいでドタバタしてました
会場ではQRコードを読み込んで
体調管理表を取り出して
接触を避けるためにアクリル板で人とを隔離して。。。。
そんなのこんなやっていますが誘導先を間違えたり、管理票を忘れたり
モタモタしている感じでした

数百人そこらを管理するために明らかにそれより多い人数の人が動員されていると考えられました

屋外スポーツなのにもっとゆるくて
いいように思えますがね

気温は早朝は防府の底冷えする気温で
3-5℃くらいだったと思いますが

昼になるにしたがって日が照り始め
スタート時刻になる頃には気温は10℃ちかくにまで上がっていました。

防府読売マラソンのコースですが
工業団地内を周回したあと市内に入っていきます

アップダウンは緩め

12/20 12時02分号砲がなり
今日のレースがスタートする

スタートしたときは大概気持ちよく始まります
元々防府も競技場スタートだったはずですが
いつの間にかロードスタートに変わってました

私が前に出たときは競技場でした

ロードスタートでお祭り気分

なんやかんやで㌔3分10で1㌔を通過

いやいや
これでは無理やと集団形成を進めてゆきます

㌔3分23くらいでいると
見知ったメンバーが集まります

奈良のセオさん
大阪のナカジくん
三重のヒガシモトくん
他にもいっぱい

そのメンバーで㌔3分24くらいで18キロくらいまで刻みました

途中でホリコシさんって視覚障害の選手の有名な選手とかが一緒でした

給水がうまく給水係に伝わらず、失敗してました
具体的には「******ばん下さい!」って言っても向こうは準備してないみたいな

非常に残念な気持ちになって
なんとか手伝いたいと思いながらも
ペースが非常に不安定でついて行きづらく助けられませんでした

ナカジくんとそんな話をしました

さらに前方では同世代のギョウバくんや
マツオカさんや見知ったメンバーが3分10秒後半くらいの非常にいい感じの集団が見えます。あれにはいけないと自重しつつ

そういったところで
20㌔でセオさんが3分20で前進を始めました
㌔3分24そこそこじゃ満足いかない感じです


私はついてゆけず。。。

風がそれなりに強い中盤で独走という非常にまずい形になりました

ハーフは一時間11分ちょい通過なのでまぁ想定範囲内なのですが坐骨神経痛もよろしくなく脚も回転が進みません

非常にくるしい
25キロ㌔くらいになる頃には3分30を超えて行きました
大変まずい。
私のネガティブな精神を奮い立たせながらやり遂げることにします

そもそも
大会は減ったんやぞ!
コロナのせいで別大すらない

じゃあ俺は今年は何をしにこんなところまでやってきた?
お前は何処で生きてゆくんだ?

30キロ過ぎたくらいには

㌔3分40までたれた

どうすれば良い?
と思ったときに
前方から
30キロ折り返しで垂れた実業団選手がたくさん来るではありませんか

才能ある人ですらいつもうまくいくわけではない
いわんやわれをもばや

神様
なんか
ありがとう!

私には生きる価値はありません

しかし遅いなりにはたくさんのものを見てきました

それを今日も書くのだ

32キロくらいからは気を持ち直して
走り始めると
㌔3分30~40と遅いのだがメンタル的には
フルマラソン走れる事が楽しくてしようがない

まだまだフルマラソンが
2回目の若造だった頃の私は
この30㌔からのゲームがかなり苦痛だったとおもう

いやいや

こんなにも
生きている!
世界で生きてきたじゃないか

俺にはそもそも何もなかった
ただ走る事で道が見つかった
同じことをしたいという人間と
道を作ったり見に行ったりした

防府の空は相変わらず青かった
私がいまも青いくらいに変わらず

防府の風は相変わらず寒くて痛かった
俺がこんな歳でもバカなままで痛いのと同じくらいだ

3分40を維持して競技場へ入る

2時間27分35でゴール


特に何もない平凡なタイムだ

が、俺はこの15年で

いろんな人間と走った

タカダさんや
フジノさんや
ヒラカキウチさんや
ノモトさんや
トネガワさんや

他にもいっぱいだ

75回分の成長をみせたかったが
タイムでは負けていた

20才の私には
意味がわかっていただろか?

人は一人では走っていないのであるという事が。

坐骨神経痛を治して

びわ湖では再度自己新を塗り替えたい!

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